top of page
執筆者の写真愛 山崎

私の歩んできたフラメンコの道③


当時はインターネットが現在のように普及していなかったので、情報元は留学した人から情報を聞くか(株)イベリアが留学の手配やピソ(アパート)のレンタルをやっていました。 (最初の2週間はピソが満室だったので、アパルタメントのホテル暮らし) レッスンもマノロ・マリンの教室(現在はマヌエル・ベタンソの教室)のレッスンとアリシア・マルケスの教室のレッスンをイベリアから予約。 初日はホテルから教室までスペイン人のアテンド付き。 ホテルで待てどもアテンドの人は来ず…(当時、携帯電話はない) さすがスペイン。 30分は遅れてきてたな(笑) バスでの行き方を案内してもらい無事スタジオ到着。もちろん大遅刻。 マノロの教室でマノロや若かりしソラジャ・クラビホなどに習ってました。 ソラジャなんてむっちゃ怒りまくってて怖いレッスンだったなぁ。。。 ブレリアを何個も振付して、「はい、1つ目のブレリア踊れ!」とか言われて。 10個ぐらいやってたら、振付忘れるっつーの。 「なんで覚えられないんだー」って怒ってた(笑) アリシアの教室では中級クラスを予約していたのに、初級クラスのほうが向いてると初級に移されて。 私、下手っぴだったんだろうな(笑) クラスに通い慣れてきたら、情報も色々ゲットできてファナ・アマジャのクラスにも通い、ファナは圧が凄かったなぁ。 当時はまだシエスタ(家で昼食を食べ昼寝する)の習慣があり、昼間はお店がクローズ。 週末スーパーもお休み。 ショッピングも週末はほとんど空いてなかった気がするなぁ。 いや、、大きなお店とEl Corte Ingles(百貨店)だけは開いてたかな? 昔のこと過ぎて忘れたけど...


そうそう、百貨店の食品売場に天井からウサギがそのまま吊るされて売っていたのは衝撃だった。

週末は散歩したり旅行したり、インターネットカフェ(カフェは飲めないけど)にパソコンが並んでて家族や友達にメールしたりして過ごしてたな。 パソコンはもちろん日本語入力できないので、ローマ字で書いて。 あー、懐かしい~~~!

今は便利な時代だけど、良い意味でも悪い意味でも都会化してしまい、文化は変わりスペイン人も働く働く。





閲覧数:46回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page